しがないサラリーマンのブログ

昔はバンドにのめり込んで 、いまは写真を撮るのがちょっと好きで、産まれたばかりの娘が溺愛している、いつかコーヒー屋をやりたいなーと思っている海外駐在員としてアメリカ在住のしがないサラリーマンのブログ・・・。

OKY(Omaega Kite Yattemiro)

海外に赴任した人みんなは一度は聞いたことがあるのか・・・?

(ふざけるな)お前が、来て、やってみろ。

ふざけるな、は言わないのかな・・・。

 

ぼくは社会人人生のほとんどを工場で暮らしている。

 

幸か不幸か、立ち上げのときのは地獄のような日々を過ごしていた。

前回の海外赴任は、工場の立ち上げ。

今回の海外赴任も、工場の立ち上げ。

 

赴任したときのは土の地面に杭しかなかった。

 

いま思い返せば、とてもエキサイティングで面白い経験だったと感じるけど、

その当時は、地獄のような日々だった。

 

落ちているボールは何でも拾う

幸せなことに、今までの10年の社会人人生で、工場の立ち上げに3回携わっている。

そして幸い?なことに3回とも海外だった。

 

今になって、実はこういう経験は、そんなに多くの人がしている経験ではない、ということを知る。

製造業を営む会社にいるので当たり前なのか・・・と思っていたけど、実はそうではないと。

 

立ち上げでそのまま現地に赴任するケースはもっと稀らしい。

 

他の会社でのそれとどれだけ違うのかわからないけど、とにかく色んな種類のボールが転がってくる。

 

例えば、昼ごはん。

 

赴任して、建築現場の横にあるプレハブが仮説事務所になった。

12時になる。ご飯どうする?と。そもそも昼休憩って何時からだ?とか。

食べにいくか?でも、工場周辺では何がどこになるのかもわからない。

 

会議室なんてたいそうなものはないとか。

ときにはトイレットペーパーがなくなってるとか。

毎日気温30度の中で生活していると飲み物はすぐに無くなるとか。

自販機なんでものは存在しないとか。

 

立上げ時には、いわゆる総務系の仕事がとても重要だということを痛感した。

すでにオペレーションが回っている場所で、

総務の人たちのありがたみをあまり感じることは正直なかったけど、

何もないところから始めるとなると、「早く総務部門を・・・」と切に願ったのを覚えている。

 

もっとオーガナイズされた立ち上げもあるのかもしれないけれど、

ぼくが経験した立ち上げは、カオス、の言葉がぴったりだった。

 

とにかく、みんなでなんでもやる。

それはうちの部署、これはあなたの部署で・・・なんてきれいごとは通用しない。

そういう一体感を味わえたというのも稀な経験ともいおえる。

現地の承認をもらえ

親元(日本のヘッドクォーター)が主導で、プロジェクトを進行する。

現地側の責任者ということで、日本にいるときから、プロジェクト体制図上、リーダーに名前を入れられた。

最盛期で、直接関わりのある人だけでも50人くらいの日本人が、プロジェクト入っていた。

 

いよいよ現地での作業が本格化する、というタイミングで現地に赴任した。

さっき書いたとおり、まだ杭しかないときに・・・。

 

現地に赴任する自組織の人間はぼくだけで、それまで一緒に働いていた同僚やその他関係者は、

日本から支援者、という立場に変わる。

 

日本にいるときは、各タスクフォースのリーダーが自ら判断して物事を進めていたんだけど、

ぼくが現地に飛んでからというもの、「これでいいですか?」という類の話がものすごい増える。

 

いつの間にか日本のメンバーは、

「現地側の承認をもったのか」「現地側はなんて言っている」

現地のことばかりを気にするような仕事に進め方に変わった。

 

何かの判断が必要な度に、整合する会議に出て、ものごとを了解しないといけなかった。

 

いつの間にか日本のメンバーは、

「現地側の承認をもったのか」「現地側はなんて言っている」

現地のことばかりを気にするような仕事に進め方になっていた。

 

で・・・

何が起きるかと言うと・・・

仮に後で問題が発生したときに日本は何をいうか・・・

日本「承認してもらいましたよね?」

現地「おいおい・・・」

日本「なので、我々には責任はないですよね?」

現地「まじか・・・・」

日本「現地での対応をお願いします」

現地「そんなバカな・・・」

という感じ。

 

警察の尋問に近い。(受けたことないけど・・・)

次から次へと案件を持ってきて疲弊させて、もういいわかったよ、

勘弁してください・・・状態に持ち込む兵糧攻め感。

そして、とりあえず「やりました・・・」と言わせる。

プロフェッショナルとして

とにかくなんでもかんでも現地側の承認というプロセスを経ること。

あとで何か問題が発生すると、それを承認した現地側の責任になるということ。

結局、日本にキレ散らかした。(大人げない・・・)

 

多くの関係者の中で、その時の自分は最年少だった。言わば入社4年目のぺいぺい。

そんな言い訳・・・という見方もあるけど、その時そう感じたのは事実。

で、プロジェクトで自分の周りを囲むのは、10年、20年戦士たち。

ぼくなんかよりも経験も知識もあるはずの人たち。

 

最終的には自分たちが最高だと思うのであれば、それで進めていい。

ダメだったらそこもしっかり自分たちでなんとかしてほしいと。

それぞれの人がそれぞれの領域の専門家と働いているのならば、絶対にそうするべきだと。

ぼくなんかより100倍良い判断ができるはず。

 

自分が仮に日本から海外を支援する立場になった場合は、

プロとして働けるのか?とても疑心暗鬼になるけど、心の中にはいつも留めておきたい。

 

海外拠点で苦しむ人は、戦った方が良いと思う。

日本は親元であり海外はその出先機関という一面が強いかもしれないけど、

親にだって自分の意見をぶつける時があっても良いと思います。

喧嘩するときは喧嘩しないといけない。

ファンを作る

でも、やっぱり日本に見捨てられると、日本企業の体制からして海外会社は破綻する。

多くの権限が日本にあるから、好き勝手な事をやりすぎるとしっぺ返しを食らう。

日本企業の宿命とも言えることなのかもしれない。

「おもてなし」で知られる日本人的な考え方なのかもしれない。

 

最初の海外赴任したときの現地会社の社長は、よく「ファンを作りなさい」と言っていた。

みんなにまた来ても良いと思ってもらえるように対応するように、と。

結局のところ、海外会社といえども日本にそっぽを向かれたらおしまいだからね、と。

 

だから、出張者を迎えるときは、できる限りのことをした。

食事に連れていくことだけじゃなく、週末に観光にいくこともあれば、繁華街で羽目を外すこともある。

 

出張で助けにきてくれた人とて・・・

その人が日本にいるときは、首をとってやろうか・・・と思う事は何度もあった。

 

でも・・・事件は現場で起きている論。

出張者が壮絶な現場で、ぼくがどんな状況にいて、周りの人がどんな状況にいて・・・

と言う事を目の当たりにして、色々感じてくれる。

そうすると少しずつ人の動き方が変わってくる。味方が少しずつ増える。

みんな何とかして前に進めようと頑張ってくれる。

 

ぼくも人間だ。

ゲロが出るほど働いたらゲロが出るほど遊ばないとと言う事で身を粉にしてOFFも提供する。

ましてや大先輩が若輩者を助けてくれるわけだから恩返しをしないといかんと。

 

これは海外に出ている人の多くがやっていることなんじゃないだろうかと。

ぼくは、週末や仕事のあとに、会社の人とつるむのは好きな人間じゃない。職場の飲み会もきらい。

それでも自分を突き動かして、事にあたったのは良い経験になった気がする。