アメリカで初産を経験した(出産まで41時間の記録:その2)
前回の続き。
出産する部屋でまずはじめにした事
16時に出産部屋に通されて、関連書類のサインへのサイン。
サインはほぼ全て妻がした。
輸血に関する書類
帝王切開についての書類
言われるがまま、紙を出されて、ガンガン署名をしていく。
中身は一切読んでない(いいか悪いか・・・)
妻の血圧は160/100くらいをさまよっていた。
そもそも血圧って何なの?ということを今さらながら勉強することに。
血圧を下げる錠剤を飲んで、ひとまず様子を見ることになる。
赤ちゃんの心音を聞くためと、陣痛のためのセンサーをお腹につける。
あとは、点滴。水分の摂取を一切許されない。(多分、帝王切開のため。超適当)
上が、赤ちゃんの心電図。
下が、陣痛のセンター(お腹の張り?、またも適当)
この波形を見ててわかったこと・・・陣痛中は赤ちゃんの心拍が下がる。
子宮が収縮しているから?(適当)
医者には「明日には出産になる」と言われて緊張感が高まった。
17時から血圧を下げる薬(錠剤)の服用開始。
陣痛もないし、点滴を打っているだけだから、ただの病人みたいになる。
これから病室を抜けることできなくなりそうだっから一旦家に帰還。
猛吹雪の中で神経をすり減らしながら運転をするはめに・・・。
シャワーと着替え、ご飯をカップラーメンを食べて、病院に戻る。
夜が遅い時間は、救急用の駐車場しか空いてない、ということを着いてから認識する。
なかなか血圧が下がってない。
24時に追加で薬(錠剤)を服用。
血圧が徐々に下がっていき、妻は眠りにつく。
陣痛が始まると血圧が上昇傾向になるため、ある程度血圧を下げないと
陣痛促進剤の投与を開始できないということだった。
自分は例のいす兼ベットで寝る。
凄まじく寝相が悪いので、とてもしんどかったけど寝れた。
陣痛促進剤の投与開始
一晩ぐっすり寝て、朝8時30分から陣痛促進剤の投与が始まった。
この時点で、病院に来て、18時間30分経過。
オキトシンと言われる薬。本来は体内で生成されるらしいホルモンを投入。
外は大寒波。-20℃の極寒。そのせいか部屋も若干寒い。
11時ごろから3分間隔で耐え難い陣痛(らしい)が始まる。
たまらず、看護師を呼ぶ。
「麻酔うつ?」
「少し早いけど、打っちゃいけないってものでもないし」
「あなたが打ちたいなら打ってもいいし」
ということを言われ即決。
麻酔医が来るまで待ってくれと。
待てど暮らせどこない。妻はいつ?いつ?のモードに。
結局、3時間後の14時に麻酔医が登場。
血を見ることができない旦那さんは要注意。
目の前で、背中にものすごい細い管を通す作業が繰り広げられる。
まぁまぁ血まみれになるので、気分が悪くなってしなす旦那さんが多いらしい。
ピーナッツ型のバランスボールを膝の間に抱えて、
その時が来るのを待つ・・・。
血圧との戦いが始まる
病院に来てから24時間がすぎた17時頃、これまでの感じたことのない痛みを訴える。
医師を呼んで触診をする。子宮口は5cm。10cmまで開かないといけないらしい。
なぜ、子宮口の大きさはセンチメートルなのか・・・という疑問はさておき。
別の種類の麻酔を投与。
麻酔が効いて来ると、両足が暖かくなるらしい。
男の自分は全くもってなす術なし。
ひたすら横にちょこんと座っているだけ。いることが大事なんだと・・・。
18時ごろには、奥さんは眠りに落ちていた。
陣痛の中で寝ることができるというのは麻酔のおかげらしい。
この頃から、血圧が少しずつ上昇して来た。
19時には、血圧が高すぎる(150/90くらい)という理由で、陣痛促進剤を停止。
Magnesiumという別の薬で血圧を下げることになった。
これで血圧が下がらないと、帝王切開になると言われ、少しソワソワする。
20時頃には、幸いにも血圧が安定して、陣痛促進剤を投与を再開した。
次回へ続く。