しがないサラリーマンのブログ

昔はバンドにのめり込んで 、いまは写真を撮るのがちょっと好きで、産まれたばかりの娘が溺愛している、いつかコーヒー屋をやりたいなーと思っている海外駐在員としてアメリカ在住のしがないサラリーマンのブログ・・・。

多様性について考えてみた。

会社の後輩との会話から、多様性についていろいろ考えた。

 

多様性とは・・・

f:id:sound-like-shit:20200326225127j:plain

いろいろな種類や傾向のものがあること。変化に富むこと。

と辞書には書いてある。

 

会社にいる人事の人(日本人で後輩)に

多様性のある会社、職場ってどうやったら作れると思いますか?って聞かれた。

この質問を受けて、いろいろと自分なりに考えて見たことを書いてみようと。 

 

なぜ多様性の話になったかというと・・・

今ぼくが住んでいる地域は、アメリカの東北地区。

超白人社会に身を置いている。

白人は金持ちで、黒人は貧乏みたいな社会。

きっと、人種差別って絶対にあるんだろうな、とはたから見てても思う訳です。

 

何で人種差別があるんだろうって思うかと言うと。

会社に100名いる間接人員、いわゆるホワイトカラーに黒人が1人しかいない。

製造現場で働く直接人員には、ものすごく黒人が多い。

たまたまなのか?いやいや、そんなことないだろうって思うわけ。

人種差別は絶対にしてはならない!!

そんな中で、人事部長(白人女性)肝いりのリーダー養成研修での出来事。

タイタンズを忘れない”って言うアメフトの映画をシーンを見せられ。

デンゼルワシントンの台詞を取り上げながらリーダーシップとは・・・

みたいな話をしていた。

節々に、自分たちは人種差別を乗り越えた偉大な国民だ、的な。

アメリカで暮らす人はどこかで一度は必ず聞くようなセリフだと思う。

みたいな正義をかざすアメリカ人をよく職場で見るんだけど。そう言う言動が余計に、あぁ人種差別ってあるんだなって感じさせる要因になる。

 

イジメがあるから、みんなイジメはよくない!と一生懸命言っている訳で。

それを同じこと何だよね。

だから私たちは差別をしない、と言われると、「はぁ?」ってなっちゃう。

日本人は差別されるのか? 

話は変わって、赴任している日本人とその家族。

よく、あのスーパーで差別された、とか、あのレストランで差別された、

って感じの話をよく耳にする。

多分、入り方が超ネガティブなんだろうって思うわけ。

アジア人の劣等感なのか知らないけど、もうマイナスから入るから、

差別検知センサーがビンビンじゃないのか?って感じで。

ぼくはそんな思いをしたことがない、と言うか、

そもそもそんなセンサーを持ってないから気にならないって言うのが正しいのかな。

 

黒人がそうであるように、

差別に対して声をあげて権利を勝ち取るって言うのは大事な行動であるように思う。

でも、日常的に起こる事にいちいち差別だって気にするのはどうなのかと。

何かの不利益を被ったなのであれば、話が変わるけど。

レストランで客が全然いない奥に通された、という類を差別だ!とかは止めたら?と。

その店員がしょうもないだけって思った方がいいんじゃない?って。

カリカリしながら食べる食事が美味いわけないんだから。

ところ変わって、マレーシアに住んでたとき

f:id:sound-like-shit:20200326230136j:plain

マレーシアは3つの人種が一応共存していることになっている。

実態は、国をあげてマレー系いわゆるイスラム教徒をサポートしている。

イスラム教徒しか開設出来ない銀行口座があって金利が10%だったり。

差別というか区別というか。

 

マレーのボスなら部下もみんなマレー。

中華がボスなら中華。インドがボスならインド。そんな感じで集団が形成される。

役人の8割りとか9割はマレー系だし。

そんなだからみんなに同じ権利が平等に与えられるわけない。

政治はOne Malaysiaとは掲げていたものの・・・。

 

だから、差別しないとかじゃなくて、それが当たり前で。

みんなブツブツ文句言ってて、小競り合いして。

だけどアメリカみたいに人種差別はだめ!!みたいな話はあまり聞かない。

これも1つのやり方なんじゃないかなって思う。

日本はどうなんだろう。

そんな感じで、幸いながら、3つの文化圏で生活をしたこともあって

多様性を理解しようとする思考回路が備わってきた。

 

今の日本はどうかというと・・・

人口の大多数は、やっぱり日本固有の価値観で物事を考える人が多いということ。

だから日本人の価値観が少数派になる、という状況に身を置かない限り

多様性を持つことはできない、と言うのが持論。

 

日本固有の価値観が圧倒的な多数派である日本で、

他の文化圏、他の価値観を持つ人と交わってもあまり意味がない。

なぜなら、結局のところ、大多数の日本人的価値観で物事が進むから。

 

自分たちが圧倒的に少数派になる必要があるんだと思う。

受け入れないと生活できない状況になって初めて何かのきっかけになるんだろうと。

自分にとってのそれは初めて赴任したマレーシアだった。

それまで海外に行ったことがなかった訳じゃない。

でも、旅行や出張で行くのと、生活をするのは訳が違う。

生活して初めてオンになるセンサーがあると思っている。

 

労働人口が減って、外国人を移民として受け入れたとして。

今の日本でそれらの外国人は、日本人として振る舞わない限り生きられない。

日本はまだまだそんな国なんだと思う。

結局のところ・・・ 

多様性と向き合うということの現実的な答えは、

・いろいろな価値観を理解する。

・納得できるもの、納得できないもの、に気づく。

・納得できなくても何とか折り合いをつけて暮らす。

っていう感じ。

 

お互い理解して、納得して、歩み寄って、一緒に頑張ろうぜ!

は、おとぎ話だと思っている。

 

これがけ世界中からいろんな人が集まっているアメリカという国。

みんながお互いを理解して、納得するなんてあり得ない。

 

分かり合えないものがあることが前提にある。

そんな中で何とかして折り合いをつけて前に進むしかない。

 

企業ができる。

若いうちから全く違う文化圏に飛ばして、仕事をしてもらう。

金がかかる文句をいうなら、手当も無くして、生活できる程度の金を渡す。

日本で異文化研修みたいな、くだらないことをやるより、よっぽどいい投資。

 

結局、海外に出ても日本人・アジア人と群れているんじゃ意味がない。

日本人として圧倒的な少数派になって苦労すること。

 

もし海外にでる機会に恵まれている人がいるのであれば、

圧倒的な少数派として、もがき苦しむことをお勧めします。